書き置き場

宮田らしき人と小坂らしき人のお話らしきものです。目を通すなら自衛をば。

あめふるせかいのはて

 

 

 

 降り始めた雨から逃れるように私たちは喫茶店に入った。
 見渡す限り人の姿はなく、他にお客さんはいない。そのせいか店内はやけに静かで、開いたドアから流れ込んだ雨音が店内を占拠してしまう。なんだか申し訳なく、慌てて後ろ手にドアを閉める。
 誰かが入ってきたことに気がついたのか、カウンターの奥から老いた男性の店員が姿を見せた。会釈を交わし、どうぞというジェスチャーに従って、先を歩く愛萌について店内を進む。
 私たちは窓際の四人用のテーブルに腰を下ろした。二人用の席を選んだほうがいいのかもしれないけど、混んでいるわけでもないし、構わないだろう。窓を背にした席に愛萌が、向かいに私が座り、それぞれ空いた隣の席にかばんを立て掛ける。
「私の傘入れば良かったのに」
「折り畳みやから二人で入るには小さいやん。それにまっピンクで恥ずかしいし」
「菜緒は恥ずかしがり屋さんなんだから。まぁ、一休みしたかったからちょうどよかったけどさ」
 愛萌はかばんから白いハンカチを取り出し、雨に降られたせいで少し広がってしまった髪の先を撫でつける。私も愛萌に倣い、小さなタオルで髪についた水滴を拭う。
「とりあえず、何か頼もうか」
 雨宿りのために入ったとはいえ、何も注文しないのは憚られる。愛萌の提案にひとつ頷き、立てかけられていたメニューを手に取る。
 二人が見られるように、机の真ん中に広げる。広げられた左の面にはサンドイッチやナポリタンといった軽食が並び、右の面には飲み物やスイーツが並んでいる。余白を埋めるように色鉛筆で描かれた料理のイラストが数点あしらわれており、どこか固い雰囲気を受ける店内の雰囲気を和らげていた。
 時刻は二時過ぎ。少し前にご飯を済ませていたので、何かを食べる気にはならない。愛萌も同じらしく、おのずと私たちの目線は右の面へと落とされていた。
「何にする?」
「サイダーにしようかな」ソフトドリンクの欄に並んだサイダーを指差して答える。
「菜緒がサイダー頼むなんて珍しいね」
 愛萌はただでさえ丸い瞳をより丸くする。
「雨でじめじめしたからさっぱりしたくて」
「なるほどね」
「愛萌は?」
「私は紅茶にしようかな。ロイヤルミルクティーのアイス。他には何か頼む?」
「ううん。大丈夫」
 注文のため、愛萌は手を挙げて「すいません」と呼びかける。
 前をボタンで留めた襟付きのワンピースに身を包んだ愛萌。まばらに落ちた雨粒が、薄水色と白のストライプの柄の上にほのかな水玉模様を描いている。手を挙げる動きにともなって、半袖がだらりと肩口に落ち、すらりとした細腕が覗いた。
「ご注文は?」
 やってきた店員がメモを片手に尋ねる。
 近くで見ると、思ったよりも年を召した男性だった。おそらくこのお店の店長なのだろう。後ろで結ばれた長髪やたくわえた髭はほとんど白んでおり、覗いた額や頬に刻まれた皺と相まって積んできた時間の長さを感じさせる。撫でつけられた髪はあまり手入れをされていないのか、跳ねてあちこちの方向に飛び出しており、どこか可愛らしさすら覚えた。
ロイヤルミルクティーのアイスとサイダーをひとつ」
「かしこまりました」
 愛萌が注文を終えると、店員さんは笑顔を見せて会釈し、カウンターへと戻っていった。見送るなり愛萌が小声で言った「ハリネズミさんみたいだね」という言葉に同意して頷く。
ロイヤルミルクティーっていいよね。特にロイヤルってところが」
 開かれていたメニューを閉じ、置かれてあったところに戻しながら愛萌が呟く。
「普通のミルクティーロイヤルミルクティーの違い分からへんわ」
「私も分かんない」
 愛萌は当然でしょとでも言いたげな顔つきで言ってのける。
「ロイヤルがいいって言ってたやん」
「響きの話じゃない。わくわくしない? それにロイヤルなんだから、普通のミルクティーと比べて美味しくないわけないでしょ?」
「そういうもんなんかな」
 腑に落ちたような、落ちていないような。よく分からない理由を持ち出すのは愛萌の得意技だった。
「そういうもん。意味もなくロイヤルなわけないやん」
 私の口調を真似してくる。これもまた愛萌の得意技だ。
 そんな他愛もない話をしていると、思いの外時間が過ぎていたようだった。
「お待たせしました」
 ハリネズミの老人がテーブルの脇に立つ。
ロイヤルミルクティーのお客様」
 愛萌が小さく手を挙げる。愛萌の前には紅茶が注がれたグラスと、それぞれミルクとシロップの入ったピッチャーが二つ。私の前にはぱちぱちと泡を吐く透明なサイダーが置かれた。そしてそれぞれのグラスにストローを添えると、ハリネズミの老人はふたたび人当たりのいい笑顔を浮かべ、会釈をして去っていった。
 愛萌はミルクのピッチャーを手に取り、いそいそとグラスに注ぐ。続いてシロップも同様に注ぎ込んだ。
「紅茶にミルクとシロップが溶けていく瞬間が好きなんだよね」
 愛萌はグラスを横から覗き込み、挿したストローでゆっくりとかき混ぜる。氷がカランカランと音を立て、透き通った紅茶が濁っていく。
 透明なシロップ、白いミルク、ほのかに赤い紅茶がストローの生み出す渦に呑まれ、やがてひとつの色を織り成していく。その様子はどこか神秘的にも思えて、確かにワクワクしてしまう。
「ちょっと分かるかも」
「でしょ」
 やがてグラスは薄茶色に染まった。愛萌はストローを折り曲げ、グラスを口元へと運ぶ。
「んー。美味しい。ロイヤルな味がする」
 締まりのない笑顔を浮かべ、知りもしないロイヤルを満喫している。
 食べるにしても、飲むにしても、好きなものを口にした愛萌は本当に幸せそうな表情で味わう。その幸福感は見ているこっちにまで伝播してしまうほどだ。
「ほんま好きやねんな。紅茶」
「うん。それこそ、世界の終わりに飲んでいたいくらい」
 まるであまりの美味しさに頬が落ちるのを支えるように、両手で小さな顔を包んで答える。
「大げさやな」
「本気でそう思ってるもん」
 そうですか。とあしらい、サイダーを一口飲む。冷たい刺激が身体を流れていく。
 炭酸はやっぱり一口目が一番美味しい。首筋の熱気が彼方へと飛んでいき、喉に心地よい爽快感が走る。爽やかな風の後には、つんと痺れるような小さな痛みが鼻の奥に余韻を残す。至って普通のサイダーだけど、求めていた通りのものだった。
「ねぇ」
「何?」
 ストローの蛇腹を擦りながら愛萌が尋ねる。
「もし世界が終わるとしたら、どうやって終わると思う?」
「急やな」
「会話なんていつだって急でしょ。考えてみようよ。どうせ雨止むまではここにいるんだし。私が色々言ってあげるから、想像してみて」
「いいけど」
 愛萌は顔の横に人差し指を立て、嬉々として世界の終わりについて語り始めた。
「まず思い当たるのは隕石ね。巨大な隕石が地球に衝突して、みんな死んじゃうの。菜緒が好きな恐竜が絶滅したみたいにね。色んな国の頭いい人たちが頑張ったけど、もうどうしようもなくて、みんなでぶつかるのを待ってる」
 隕石に見立てたらしい小さな握り拳が私たちの間を横切ってテーブルに堕ちた。ぼん、と愛萌の呼気がもれる。それは隕石にしてはあまりにも小さな衝突音だった。
 その可愛らしい隕石で世界が終わるかどうかは置いておいて、気になった点を指摘する。
「恐竜が絶滅したのは隕石じゃなくて小惑星の衝突。それに、ぶつかった衝撃で絶滅したんじゃなくて、巻き上がった煤とか灰で大気が覆われて寒くなったからやし。もちろん諸説あるけど」
「隕石と小惑星の違いなんて分かんないもん。あんまり大事なところじゃないし。菜緒みたいにそこまで恐竜好きじゃないし。文系だし」
 愛萌は頬に空気を溜め、不満げに言い連ねる。
「そうやけど。一応言っとこうと思って」
「あと、やたら早口だったね。ちゃんと諸説あるって言うのも、さすが恐竜好きって感じした」
 冷静に分析されたことが妙に恥ずかしく、頬が熱くなるのを感じる。火照った身体を冷ますように、サイダーを喉に流し込んだ。グラスがまとった水滴が掌をにじませる。
「そんなに文句言うなら、他のを考えてあげる。次はちゃんと想像してね」
「分かりました」机に置いたままだったタオルで手を拭く。
 愛萌は腕を組み、小首を傾げて世界の終わりに思いを馳せた。やがて思いついたようで、爛々とした瞳をこちらに向けて話し始める。
「地球にある彗星が近づくの。で、いつかの彗星のときみたいに、地球上の酸素がなくなっちゃうんだ。どうにかして酸素を確保しようとするんだけど、全員分は用意できないし、なんとか確保できた人もいつかはなくなっちゃって、みんな呼吸ができなくなっちゃう」
 彗星が近づく様を想像してみる。
 愛萌の背に広がる街に夜の帳が下りた。摩天楼のさらに上、黒々とした夜空に白い塊が輝く尾を引いて飛んでいく。街を歩く人々が傘を落とし、胸を押さえてもがく。神秘と残酷が同居した光景が広がる。
 けど、彗星が飛来したところで酸素がなくなったりするのだろうか。
「ほんまに彗星がきたら酸素なくなんの?」
「なくならないよ。そのいつかの彗星のときも何もなかったみたいだし」
 けろっと自分の言葉を否定する愛萌。
「誰かの大予言と一緒で、みんなで悪い夢を見ただけ」
 その言葉をきっかけにして、魔法が解けたように窓の外に平穏が戻る。
「世界終わらへんやん」
「むぅ。じゃあ次。次は……、そう。太陽の元気がなくなっちゃって、氷河期が訪れるとか。作物は育たないし、生き物も死んじゃうから食べるものもなくなる」
 ガラス越しの街に再び魔法がかかる。
 降る雨は雪に変わり、やがて風を交えた吹雪となって街を覆う。ビルは白い塔と化し、あたりは白銀の雪原へと移ろう。葉には霜が降り、生物は息絶える。あらゆる活動が停止し、冷気が死を伴って世界を蝕んでいく。
 けど、そこまで急激に冷えるものなのだろうか。時間がかかるのなら、なんとかなる気もしてしまう。そう思ったが最後、いつもより寒いただの冬の景色に見えてしまった。
「ゆっくりじわじわ終わりそうでピンと来んわ」
「菜緒はわがままだね」頬杖をついて愛萌は言う。
「そっちが想像して言ったんやん」
「もっと分かりやすいピンチがいいのね。じゃあこれは? 巨大な怪獣が現れて大暴れするの。口からビームや炎を出して街はボロボロ、ビルは崩れてガレキになって、みんな大パニック」
 三度、窓外の景色は想像に侵食されていく。
 人々は傘を放り捨てて逃げ惑い、街は狂騒に包まれる。立ち並ぶビルは熱線によって両断され、轟音を立てて地に落ちる。吐かれた炎は街を赤く染め上げ、熱された空気によって視界がゆがむ。断続的に響く重い足音と爆音の咆哮が鼓膜ごと身体を揺らし、火の海の奥に巨大な怪獣のシルエットがぼんやりと浮かんだ。
 アニメを観てきた経験からか、彗星や氷河期に比べて想像しやすい。
「どんな怪獣?」
 具体的に想像するために尋ねる。口から炎を吐き、ビルを壊すような怪獣はどんな凶悪な外見なのか。
「そうね……。ハリネズミかな」
 浮かべていたおどろおどろしい怪獣がハリネズミの輪郭を帯びて顕現する。
 触るとちくちくと掌に心地よい痛みが走りそうな針の鎧を纏ったその怪獣は、街を軽やかに走り抜ける。足音も響かなければ、吠える声も聞こえない。炎の海も崩れたビルもその爽やかさにかき消されていく。
ハリネズミって。弱そうで全然想像できひん」
ハリネズミに失礼!」愛萌は口をへの字に曲げ、憤るふりをしてみせる。
「それに、今ハリネズミって言われたらあの人がよぎっちゃう」
 悟られないように身体で隠しながら、カウンターの奥に座る店員を指さす。
「というか、あの人を見て思いついたやろ」
「バレた?」愛萌はいたずらっぽく笑う。
「だってもう思いつかないんだもん。あとはエイリアンに侵略されるくらい」
「怪獣もそうやったけど、もうファンタジーやん」
「そもそも世界の終わりなんてファンタジーなんだからしょうがないじゃない」
 愛萌はふたたび頬を膨らませて元も子もないセリフを言い放つ。
「それに、本当に終わるときは予兆なんてなくて、気づいたらあっけなく終わってる気もするし」
「確かに。そうかも」
 世界の終わりだけじゃなく、あらゆるものがそうだ。昨日あったものが今日あるとは限らない。もしかすると、なくなったことにすら気づかないかもしれない。
 雨宿りの喫茶店でくだらないことを話すような当たり前の日常も、そんな危うさの上に立っている。そう思うと、途端に言いようのない寂しさがこみ上げてくる。
 すると、愛萌が口を開いた。
「世界がどうやって終わるかを妄想するより、世界の終わりをどうやって迎えたいかを話した方が楽しいかもね」
「うん。そっちの方がいい」
 世界の終わりなんてどう転んでもバッドエンドになる。いかに悪いかを想像するより、理想を語る方がいい。
「菜緒はどうやって終えたい?」
 姿勢良く腰掛ける愛萌は丸い瞳をこちらに向けて問いかける。
 私はどうやって終えたいのだろう。
 世界の終わりを迎える私を想像してみる。しかし、上手く像を結ばない。隕石や彗星、氷河期や怪獣。今まで想像したどの世界の終わりよりも、自分がどう終えたいかの方がなぜか想像できなかった。
 言い淀み、向けられた双眸から逃れるように俯くとテーブルの上の二つのグラスが視界に入った。
 愛萌の前に置かれたグラス。ロイヤルミルクティーの氷は溶けて水となって漂い、薄茶色の水面にまだら模様を作っている。薄まったそのミルクティーは未だにロイヤルな味がするのだろうか。
 もう一つのグラスのサイダーはすっかり泡を吐ききって沈黙してしまっている。たぶん、もう甘いだけの水になってしまっているのだろう。鼻と喉に残る小さな痛みだけがその液体がサイダーであったことを物語っていた。
 ふと思う。気づかないまま終わればいいな。他愛もない話をして、ロイヤルミルクティーの氷が溶けて薄まってしまうように。どうでもいい話をして、サイダーの炭酸が抜けてしまうように。愛萌と過ごす、なんでもない日常のまま。
「普通の日やったらいいな。こうやって愛萌とお茶してるみたいに、日常のまま終わってほしいかな」
 私の言葉に愛萌は何かを思いついたようで、笑みを湛えて尋ねる。
「世界が終わるとき、菜緒は私と一緒にいたいってこと?」
「例えで言っただけやん」
「そうなんだ?」
 口にした手前、強く否定することはできない。愛萌もそれを分かって聞いてきている。
「まぁ、過ごしてもいいかなとは思う」
 納得したらしい愛萌は頬を緩ませ、あどけない微笑みを浮かべてこう告げた。
「世界の終わりを一緒に過ごしたいなんて、なんだか告白みたいじゃない?」
 飛び出した言葉に私は目を丸くしてしまう。
 告白。頭の中で唱えてみるがぎこちない。たぶん、口にすればもっと。それくらい、私とは距離のある言葉だと思っていた。
「別にそんなん思ってないわ」
「あらゆる言葉は受け取る側の解釈次第なの。私が告白だと思ったら、それはもう告白」
 それらしいことを言って撥ねつける愛萌。
「照れちゃうなー」
 わざとらしく頭に手を当てていたずらっぽく笑う。その笑顔ににじむ多幸感が否定しようとする私の言葉を遮断してしまう。愛萌の笑顔はまぁいいかと思わせる力に満ちている。
「そういう愛萌はどうなん」
 話を逸らすべく問い返す。
「私はそうだなぁ。好きなものに囲まれて終えたいかな」
「愛萌らしい」
「でしょ。静かな喫茶店でミルクティーを飲みながら、菜緒と他愛もない話をしたり、二人して黙って本を読んだり、甘いもの食べたりしていたいな。かき氷とか、あんみつとか」
 好きなものに囲まれて終えたいと言った愛萌。そして、一緒にいる私。
 私の言葉よりもよっぽど告白に思える。けれど、それを指摘すると、愛萌はきっと肯定して私を困らせてくる。そもそも告白ってなんなんだろう。
 私は告白なんてしたことがない。そして、それはたぶん愛萌も同じ。
 知らない告白を知ったふりして話してみせる。
 思い返してみれば、私たちの会話は知らないことについてばかりだった
 ロイヤルの正体。世界の終わり。そして告白。
 知らないことを正直に知らないと言える関係もいいけれど、知らないとお互い気づいていながら、知ったふりして話していられる関係の方が私にとってはいいものに思える。なんだか小さな罪を共有しているようで。
 理想に浸り、幸せそうな共犯者に伝える。
「菜緒と一緒やん」
 一緒。
「そうだね」
 何が一緒なのか。愛萌は柔らかく微笑むばかりで尋ねることはない。
 知らないことを知ったふりして話すように、気づいていることを気づかないふりをして受け取る。
 ふいに愛萌の背後の窓から光が差した。雨が降ったあとの、やけに明るく感じる日差し。どうやら私の想像じゃなく、本物の陽の光のようだった。
「雨、止んだみたい」
 振り返って外を見やる愛萌。
「ほんとだ」
「もう出る?」
 雨宿りのために入った喫茶店。雨が止んだ以上、長居する理由はなかった。
「もう少しいようよ」
 愛萌は私に向き直り続ける。
「別に慌てることもないでしょ」
 頬杖をつき、ころころと笑って愛萌は告げた。
「世界が終わるわけでもないんだし」
「そやな」
 同意して笑いあう。
 今だったら、世界が終わってもいいなと少しだけ思った。