書き置き場

宮田らしき人と小坂らしき人のお話らしきものです。目を通すなら自衛をば。

ベター・ハーフ・バースデー

 

 

 

「ハッピーバースデートゥーユー」
 何度となく歌ってきたバースデーソング。一人で歌うのは初めてだった。どことなく恥ずかしいけれど、精一杯の思いを込めて歌い上げる。
 名前が歌われるのに合わせ、小ぶりな口から吹き出された吐息がケーキに立てられたろうそくの火を消し去る。ほのかな光源が消え、部屋を暗闇が満たした。
「誕生日おめでとう!」
「ありがとう~」
 祝う私の拍手に、なぜだか愛萌も拍手をして二人で手を叩き合う形になる。
「なんで自分で拍手してんの」
「めでたいんだからいいじゃない」
 暗がりの中から答える愛萌。見えないけれど、声に宿る喜びから笑っていると分かる。幸せそうでなにより。
 愛萌がリモコンを操作すると、部屋が照らされて暗闇が晴れる。
 電燈のちょうど真下にある机には火の消えたろうそくが立てられたケーキが陣取り、その脇には紅茶が注がれたカップがソーサーの上に置かれていた。
 四号のホールケーキ。二人で食べるには大きい気がする。愛萌も私も少食気味なので、食べ切れるかどうかも心配だったけれど、それよりも私が気にしていたのは味だった。
「チョコで良かったん?」
「うん。チョコ食べたかったから」
 二人で行ったケーキ屋さんでチョコを選んだのは愛萌だから、わざわざ聞くまでもないことだった。けれど、本当に食べたくて選んだわけではなく、私のことを気遣ったんじゃないかという思いが浮かんで仕方がなかったのだ。甘いものが苦手な私でも食べられるビターなチョコケーキ。もしかしたら、違うケーキが食べたかったにも関わらず、私が食べられるものを選んだのかもしれないと。
 年長者だからか、愛萌はこうした気配りを常に心がけていた。一歩引いて、周りを優先する。私はそんな愛萌を尊敬する一方で、ある子供らしい思いを抱いていた。気を使われたくない。私の前では奔放に、心が向くままに振る舞っていてほしかった。好きなものを好きと言い、食べたいものを食べ、嫌なものは嫌と言ってほしかった。誕生日には、なおさら。とはいえ、食べたかったと言われてしまってはもう口を閉ざすしかなかった。
 うじうじと考えていると、愛萌がケーキを切り分けていることに気づく。しまった。主役にやらせることじゃないのに。気が回らない自分にまた落ち込む。
 愛萌からケーキが載ったお皿を受け取る。
 照りのある表面がきらきらと光を反射し、その上には細く絞られたチョコが線となって様々な紋様を生み出している。アクセントとして散らされた金箔が茶色の濃淡によって描かれた秩序を乱していて、とても美しかった。
 たしかに美しいけれど、誕生日ケーキらしくはなかった。そのことがまた疑いを加速させていく。
「美味しい~」
 先に一口食べた愛萌は頬を緩めて幸せそうに漏らす。ずっと見てきたから分かる。本当に美味しいと思っている顔だった。無理をして食べているようではないことに少し安堵する。
 愛萌に続き、細るケーキの先を切り崩して口へ運ぶ。触れた舌に広がるビターなチョコレート。ぼやける甘さに、はっきりとしたほのかな苦味が溶ける。美味しい。けど。
「どうかしたの?」
 顔を覗き込むように愛萌が尋ねてくる。浮かんだ暗い思いを気取られてしまっていたらしい。
過ごした時間は同じ。私が愛萌をずっと見てきたように、愛萌も私を見てきたのだった。隠し事をするには近くなりすぎていた。
 私は正直に尋ねる。
「ほんまにチョコ食べたかったん?」
「そうだよ。さっきも言ったじゃない。どうして?」
「菜緒が他のやったら食べられへんから、チョコにしたんちゃうかなって」
「ううん。本当にチョコが食べたかったの」
「ほんまに?」
 愛萌はひとつ頷き、続ける。
「まぁ、誕生日と言えばクリームたくさんのショートケーキだもんね。あのね。実は、誕生日は菜緒と過ごすつもりだったから、昨日、家族と早めのお祝いをしたの。そのときにショートケーキを食べたから、今日はチョコがいいなと思ったんだ」
「そうなんや」
 ほっと息を吐く。私に気を使ったわけじゃなく、本当に食べたいものを選んだだけなんだ。些細なことを気にし、へんな疑念を抱いてしまったことになんだか居心地が悪くなって私は視線を落とした。
「そんなこと気にしてたの? 菜緒は可愛いねぇ」
 前を見ずとも愛萌がくすくすと笑みを浮かべていることが、鏡を見ずとも自分の顔がほんのりと赤く染まっていることが分かる。思いを吐露した手前、否定することもできない。
「気を使われたと思ったんだ?」
「うん」
 もう言ってしまえ。逸していた目を愛萌に向け、思いを打ち明ける。
「せっかく誕生日やのにと思ってん。ううん。誕生日じゃなくても、愛萌に気を使ってほしくない」
 言い終わると、胸のすく思いがした。絡まったイヤホンが解けたときのような、ノートを使い切ったときのようなさらりとした心地よさだった。
 私の言葉に優しい笑みを湛えた愛萌が答える。
「菜緒に気を使ったりなんてしないよ。じゃあ、これからはもっと私の思いが伝わるようにわがままにするね」
 上目遣いをする愛萌に一瞬だけ嫌そうな顔を浮かべたけれど、いまさら格好悪い気がして、すぐに笑ってみせる。
「あっ、でも、チョコを選んだのは菜緒のためというのはちょっとあるかも」
 顔の前で親指と人差し指の腹を近づけるジェスチャーをしながらそう告げる愛萌。
「ほら」
「でも、気を使ったんじゃなくて、菜緒が嬉しい方がいいと思ったの」
「気を使ってるのと一緒やん」
「全然違うじゃない。菜緒が嬉しいと私も嬉しいの。菜緒のためでもあって、私のためでもあるの」
 愛萌の言葉が胸にすっと染み入ってくる。私が嬉しいと、愛萌も嬉しい。同じ。愛萌が嬉しいと、私も嬉しい。だからこそ、気を使われることが嫌だった。そんなこと、気にしなくて良かったんだ。私が楽しければ、愛萌も楽しい。愛萌が楽しければ、私も楽しい。
 相手のために。それが自分のためにもなる。お互いのために。向ける思いが、向けられる思いがちゃんと通じていたことにほくほくと胸が熱くなる。
 受け止めてくれると分かっているのに、いまさら抱えたままにしておく必要はない。思ったことを、そのまま言葉にする。
「菜緒も一緒。愛萌が嬉しいと、菜緒も嬉しい」
「ちょうどいいね」
「うん」
 ちょうどいい。簡単な言葉だけど、ちょうどいい二人でいられるというのはすごいことなのだと思う。なんと言っていいか分からないけど、多分、きっとそう。
「じゃあ早速、わがまま言っていい?」
「いいよ。何?」
 愛萌は一つ呼吸をして言う。
「好きって言ってくれない?」
「え?」
 机に置かれた紅茶はすっかり冷めてしまっていた。